2024.01.13

 昼過ぎから怒涛の展示巡りをした。その中でもTOKAS本郷で見た「OPEN SITE 8」は勇気づけられるものだった。

雪が降る18時過ぎに建物内に入ると、砂糖が焦げたような匂いが充満していた。美術の展示では保存の観点から火気や食品を用いた作品を鑑賞することは多くない。しかし、3年は東京の現代アートシーンを見続けているため、食品の匂いがするくらいでは驚きはしない。野村在の「Can't Remember I Forgot You-忘れたことすら、覚えていない」は、会場中心の鉄製の機械と周りに置かれているアクリル板のような物によって構成されていた。会場の奥まで進み、アクリル板(のようなもの)を見ると匂いの正体がわかった。これは砂糖を固めたものだ。その上に画像が転写されている。しかもそれは、明らかに50~70年ほど前のものだ。ここでこの展示が「記憶」についての展示であることがわかる。ふつう過去の写真を使用する作品では「ファウンド・フォト」のように撮影者が誰なのかわからないものになっていたり、すでに現像が済んでいるものを用いる。しかし、この展示では明らかに画像データの転写を最近行なっている。また、展示のハンドアウトには2人以上の方の名前が書かれている(思い出せない...)。転写されている写真は通常よりも淡く転写され「記憶」の曖昧さと紐付けながら鑑賞することができる。また、鑑賞中にパフォーマンスらしきものが始まった。白衣を着た職員が壁にかかっている写真を一枚取り、中央の機械に入れた。すると、写真が転写された板は砕けてカップ一杯の砂糖の塊になった。職員はそのまま、慣れない手つきで機械を操作し、砂糖からわたあめを作ってしまった。そう、会場の中心、台座の上に設置されている銀色の機械はわたあめマシーンだった。また、マシーンの周りには過去に作ったであろうわたあめが何個か刺さっていた。刺さっているわたあめには数字が書かれたシールが貼ってあった。

タイトルや展示内容からも「記憶」、詳しくは「物質と記憶」や「忘却」についての展示であろう。人間の記憶の有り様はメディア環境によって変化するもので、写真は人間の記憶形式を明確に変えたと言えるだろう。また、インターネットやAIの台頭により記録物は恒久的に保存され続けることが可能となった。たとえ、認知症のように徐々に記憶が失われていかなくても、人間の記憶はだんだんと薄まっていくし、死んでしまえば知っているも知らないもないということになる。だからこそというわけではないが人間には言葉や絵、写真などの記録媒体に保存することができる。しかし、この展示で用いられている砂糖の板に転写された写真は、明らかに長期的な保存を目的としたものではない。ではなぜ、そのような方法を使っているのか。それは匂いだろう。

書き疲れた。2階で展示していたすずえりさんの展示にも影響を受けた。むしろ何もわからないという感情を久々に受けた。