2024.01.16

 たまに人に「昨日、〇〇にいたよね。」と言われることがある。正直、昨日の予定を振り返るにはカレンダーを見返して記憶を辿る必要がある。私にとって、会話のテンポを守りながら返答することはほぼ不可能かもしれない。

 最近は、コミュニケーションについて考えていることを一旦やめて、彫刻の認識について今一度考えている。やはり、現代において彫刻を用いて制作をすることについて考えていたい。「存在と観念の破れが彫刻の醍醐味である。」という言説は嫌というほど読んだが、本当に正しいのか考える必要がある。

2024.01.15

 今日は池袋の方へ用事があって向かった。あと、ニクラスルーマンの解説書を読み切った。社会学の転回を目撃したような気がしたが、自分の関心とは確実に遠い問題を扱っているなと感じた。最後に、情動論的転回や感情論的転回と言われるものがあることを初めて知った。

2024.01.14

 今年初の下高井戸シネマだった。イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K「ポエトリー アグネスの詩」を見た。二日連続で記憶・忘却についての作品を鑑賞した。

アルツハイマーでは「初めに名詞、次に動詞を忘れていく」らしい。 中学ではカタカナのヌをよく忘れるぐらい記憶に自身がない私にとって、「別に良いのでは?」と思ってしまうが、そんな簡単なものではないのだろう。昨日まで覚えていたことを忘れたことに気づく。これは「忘れた」ことに気づいているため他者に聞くことで解決することができる(忘れっぽい自分に対面することは相当辛いものがあると思うが)。しかし、症状が進行すると、忘れたことに気づくことすらできずに忘れてしまう。こんな辛いことないでしょ。

疲れた、書き溜めると辛くなるから定期的に描く。

2024.01.13

 昼過ぎから怒涛の展示巡りをした。その中でもTOKAS本郷で見た「OPEN SITE 8」は勇気づけられるものだった。

雪が降る18時過ぎに建物内に入ると、砂糖が焦げたような匂いが充満していた。美術の展示では保存の観点から火気や食品を用いた作品を鑑賞することは多くない。しかし、3年は東京の現代アートシーンを見続けているため、食品の匂いがするくらいでは驚きはしない。野村在の「Can't Remember I Forgot You-忘れたことすら、覚えていない」は、会場中心の鉄製の機械と周りに置かれているアクリル板のような物によって構成されていた。会場の奥まで進み、アクリル板(のようなもの)を見ると匂いの正体がわかった。これは砂糖を固めたものだ。その上に画像が転写されている。しかもそれは、明らかに50~70年ほど前のものだ。ここでこの展示が「記憶」についての展示であることがわかる。ふつう過去の写真を使用する作品では「ファウンド・フォト」のように撮影者が誰なのかわからないものになっていたり、すでに現像が済んでいるものを用いる。しかし、この展示では明らかに画像データの転写を最近行なっている。また、展示のハンドアウトには2人以上の方の名前が書かれている(思い出せない...)。転写されている写真は通常よりも淡く転写され「記憶」の曖昧さと紐付けながら鑑賞することができる。また、鑑賞中にパフォーマンスらしきものが始まった。白衣を着た職員が壁にかかっている写真を一枚取り、中央の機械に入れた。すると、写真が転写された板は砕けてカップ一杯の砂糖の塊になった。職員はそのまま、慣れない手つきで機械を操作し、砂糖からわたあめを作ってしまった。そう、会場の中心、台座の上に設置されている銀色の機械はわたあめマシーンだった。また、マシーンの周りには過去に作ったであろうわたあめが何個か刺さっていた。刺さっているわたあめには数字が書かれたシールが貼ってあった。

タイトルや展示内容からも「記憶」、詳しくは「物質と記憶」や「忘却」についての展示であろう。人間の記憶の有り様はメディア環境によって変化するもので、写真は人間の記憶形式を明確に変えたと言えるだろう。また、インターネットやAIの台頭により記録物は恒久的に保存され続けることが可能となった。たとえ、認知症のように徐々に記憶が失われていかなくても、人間の記憶はだんだんと薄まっていくし、死んでしまえば知っているも知らないもないということになる。だからこそというわけではないが人間には言葉や絵、写真などの記録媒体に保存することができる。しかし、この展示で用いられている砂糖の板に転写された写真は、明らかに長期的な保存を目的としたものではない。ではなぜ、そのような方法を使っているのか。それは匂いだろう。

書き疲れた。2階で展示していたすずえりさんの展示にも影響を受けた。むしろ何もわからないという感情を久々に受けた。

2024.01.12

 今日は慶應大学アートセンターが主催していた瀧口修造生誕120周年記念シンポジウムの資料をもらいに三田まで向かった。正直、最近の東京は寒すぎてどんな風景を見ても「冬の東京を形容している」としか思えない。しかし、クリスマスの曲を聞いても感傷的な気持ちを浸ることができると言うメリットもある。

2024.01.11

 久方ぶりの友人と会って遅めの誕生日を祝ってもらった。久々の友人は見る影も無くなっていた。多分私は友人に期待をしている。友人が良いと思う方向へ向かってくれると。だから、友人の元気のない姿を見ると悲しくなる。次会う時はまた久方ぶりの友人として登場するので何かが変わってて欲しい。

2024.01.10

 久しぶりに映画館で映画を観た。ナイトシネマは高い確率で寝てしまう(5分ぐらい)。良い映画は寝ていても良い映画たったという満足感に浸れるので、後悔もない。しかし、良い映画とは鑑賞中に他のことばかり考えてしまう映画だと思う。