2024.01.09

 普通に生活を行えるぐらいには体調が戻ってきた。昨日と一昨日はほとんど寝ているかTwitterのおすすめを見ていた。思考がつながるという感覚もなかった。

少しだけ、年末に行ったパフォーマンスのイベントについて考えた。内容としては、自らの身体を使い、鑑賞者に嘘を信じ込ませるようなパフォーマンスを行なった。初めは本当に酷い嘘だったが、ある程度の人数を信じ込ませることができるような嘘をつくことが出来ていたと思う。詳しくは、パフォーミングアーツとコンセプチュアルアートの先駆けとして70年代に、イブクラインや河原温と共に活躍したアーティストとして大杜研二(おおもりけんじ)という人物像を形成するものだ。また、鑑賞者が私に話しかけるまで直立不動で座っているスタイルを「大杜作品の再演」として出演した。

鑑賞者の反応は様々だった。私の言説が嘘だと断定する人、勉強熱心に架空の人物や本を検索する人、嘘か真実かより会話を楽しもうとする人。このような話をすると真偽の二元論やポストトゥルースに話が行きがちだが、今回はそのような方向に進みたいわけではない。あくまでも、フィクションが真偽に傾かない状態で保持されるコミュニケーションを作り上げたかった。その点、勉強不足を痛感する経験だった。

展示会において鑑賞者が経験・獲得する情報は様々だが、今回重要視されるのは、自らかせた規則を奉仕する身体だろう。その点、私は座り続けているかしゃべっているだけなので、なんの面白みもない(疲れている身体を見たい人なら大満足だったかも)。しかし、私はこのつまらない身体を「いる派」の系譜に捩じ込むことで、鑑賞者を撹拌させたかった。

2024.01.06

 実家に帰っていたので冷蔵庫の中身はすっからかん。だからスーパーへ行った。豚ひき肉が半額で売っていたので、冷凍してストックしておこうとふたつ買った。会計をしたら片方は10%引きだった。よくあることだがなんだか悔しかったので、デカ盛りひき肉スープを作ってやった。そんなことをしていたから、メルカリで本を梱包して出荷しようとする時に、手に持っている梱包物が正しいのか不安になり動作を再演する。

2024.01.04

 夏頃に宇都宮駅から芳賀・高根沢工業団地までをつなぐLRT路面電車的なモノ)が開通した。これによって、沿線の住民や工業団地で働く人々の通勤通学が便利になるらしい。今日はそのLRTに乗ってみた。開通してから半年ばかりしか経過していないからか、私と同じような観光客が多いように見受けられた。何か面白い経験を得られるかと思い乗車してみたが、私が興味を示したのはLRTの運転手はどのように育成したのか?とかどこが出資して運営してるのか?などばかりだった。

あと一つ書くとしたら、宇都宮駅の再開発のこと。新設されていたビルが、大谷石を使いながらもやけに隈研吾事務所が関わっていそうだなと思い、父に話してみたら隈研吾建築で1人で笑ってしまった。

2024.01.03

 親と会話したり、いつもより多くご飯を食べたりしていたら3日も経っていた。今日も12時から鬼怒川の方にあるなんとか温泉(名前が覚えられない)に行った。温泉の入り口で母と別れた。男湯には父と兄と私の3人で入る。私の兄は自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手だ。東京にいると考えることがないが、実家に帰って再び兄について考えるようになっている。これまでに一度も、親が私に兄の症状を教えたことはないし、私も聞かないのでどのような方法を辿るのが良いのか知らない。私にとって症状や、ある程度の全体像がわかるような名称を知ろうとしないことは珍しい。兄にとって世界は「なんか良い」と「なんか悪い」の曖昧さなのだろうか。今の家に戻ってしまえは思い返すことはないが、一度ぐらいは話し合えたと感じたい。

 

あと夜に同窓会に行った。

2024.01.02

 昨日は親戚の集まりで遅くまで起きていたから遅くまで寝ていたかったが、9時には親に起こされた。朝昼夜を家族と食べた。

近所のパチンコ屋や配送倉庫は更地になっていた。地元に住んでいた時によく歩いていた散歩コースは知っているようで知らない風景になっていた。もちろん風景の変化が悲しいというわけではない。ただ、渋谷や神宮外苑の再開発とは異なった質の変化があることにリアリティを感じることができるだけだと考えている。