2024.01.09

 普通に生活を行えるぐらいには体調が戻ってきた。昨日と一昨日はほとんど寝ているかTwitterのおすすめを見ていた。思考がつながるという感覚もなかった。

少しだけ、年末に行ったパフォーマンスのイベントについて考えた。内容としては、自らの身体を使い、鑑賞者に嘘を信じ込ませるようなパフォーマンスを行なった。初めは本当に酷い嘘だったが、ある程度の人数を信じ込ませることができるような嘘をつくことが出来ていたと思う。詳しくは、パフォーミングアーツとコンセプチュアルアートの先駆けとして70年代に、イブクラインや河原温と共に活躍したアーティストとして大杜研二(おおもりけんじ)という人物像を形成するものだ。また、鑑賞者が私に話しかけるまで直立不動で座っているスタイルを「大杜作品の再演」として出演した。

鑑賞者の反応は様々だった。私の言説が嘘だと断定する人、勉強熱心に架空の人物や本を検索する人、嘘か真実かより会話を楽しもうとする人。このような話をすると真偽の二元論やポストトゥルースに話が行きがちだが、今回はそのような方向に進みたいわけではない。あくまでも、フィクションが真偽に傾かない状態で保持されるコミュニケーションを作り上げたかった。その点、勉強不足を痛感する経験だった。

展示会において鑑賞者が経験・獲得する情報は様々だが、今回重要視されるのは、自らかせた規則を奉仕する身体だろう。その点、私は座り続けているかしゃべっているだけなので、なんの面白みもない(疲れている身体を見たい人なら大満足だったかも)。しかし、私はこのつまらない身体を「いる派」の系譜に捩じ込むことで、鑑賞者を撹拌させたかった。